一草庵にて
 「やうやく帰って来ました。帰って来たところで別事ありません、それで、何となく落ちつけますからフシギフシギ、なるたけ早くここから或る場所へ転じます」
 湯田での放蕩の反省から関西、東海方面へ知己を訪ねて回った。そしてかねてからの念願でもあり心酔していた井上井月の墓参を済ませ、山口県湯田にある風来居へ戻ってきた
 井月の墓前にて

 お墓撫でさすりつゝ、はるばるまゐりました


 湯田に戻った山頭火はすでに「ここ以外の場所」を「死に場所」と考えていたのであろう。

 昭和14年10月1日松山にやってきた。

  秋晴れひよいと四国へ渡って来た

 ひとつは「野村朱鱗洞」の墓参り、もうひとつは草庵を見つけることであった。
 「一洵君に連れられて新居へ移ってきた、御幸山麓御幸寺境内の隠宅である。高台で閑静で、家屋も土地も清らかである、山の景観も市街や山野の遠望も佳い。(後略)」
 ここを「一草庵」と名づけた。
鉄鉢の中へも霰
おちついて死ねそうな草枯るる
 4月28日、自選の「草木塔」を出版。
 これを持って中国地方や九州地方を回った。
 帰庵後は比較的に穏やかな日々を重ねていたが、変わらずでもあった。
 「けふも午後は道後へ、一浴一杯は幸福々々!炎天照る々々、照れ々々炎天、ほんにおいしいお酒でありました。そしてだんだんほろにがくなる酒でありました(中略)
 夜は古町方面へ、和蕾居で漫談。
 それからひょろひょろ、どろどろ、ぼうぼう、ダメ、ダメ、ダメ、ダメダ!」
 山頭火の句は「映像感」につきるのではないか。
 一句一句からほとばしるその臨場感がそこにあるがごとく見えるのは私一人であろうか。
 それぞれ体験したもののなかから、なにがしか共鳴しあうものが潜んでいると私は思うのだ。

山あれば山を観る
雨の日は雨を聴く
春夏秋冬
あしたもよろし
ゆふべもよろし

 10月10日一草庵で句会。
 山頭火は布団で休んでいたが、一洵氏が気になり夜半2時に訪問したときには容態急変していたらしい。
 享年58歳。
 本人が切望していた「コロリ往生」であった。



【参考文献】
 
青空文庫
 
山頭火アルバム(山頭火文庫別冊:出版春陽堂)