前述の「三国名勝図会」には当初「御前湯、和尚湯、網代湯、打込湯、川渡湯、南端の湯の六湯」と「うたせという涌湯」が二箇所あったと紹介されている。

 その後明治に入り、「地獄湯、柴垣湯、網代湯、桜湯、打込湯」の五湯となり、明治33年(1900)には私営の「種田湯」の新設、大正6年には「打込湯」を改造して「上等湯」とし、初めて公衆浴場として入浴料をとることになった。
 昭和に入ると、「地獄湯と桜湯」がなくなり、私営の「亀の湯」が新設された。

 当時の湯名に「網代湯」があるが、これがいまのアゼロ湯ではないか。近代的な建物に様変わりはしたが、700年以上永い歴史を経てもなおコンコンと湧き出る温泉には驚きの一言につきる。
たまに贅沢 たまにゆっくり たまには夫婦
(2004年秋編)
入来温泉の歴史は古い。
入来温泉歴史散歩
 入来温泉が「副田湯」として歴史に登場するのは、南北朝時代の建徳二年(1371)。
 以来「ゆかわち」(湯川内)という名で、散見されるようになる。
 
 また入来温泉の文字は「三国名勝図会」(当時の島津藩の名勝旧跡を表したもの)にも登場して、
 「薩摩藩には温泉は多いが、霧島温泉は湯性が列し過ぎ、安楽温泉は反対に柔らか過ぎて、効き目が薄い。
 しかし、入来温泉は剛ならず、柔ならず、おだやかでよく諸病を治す」(以下略)
 とあり、「遠疎から客が押し寄せた」とある。
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 文中にある「入来温泉の歴史的な紹介文」につきましては、「アゼロ湯および柴垣湯」に掲載されたものから引用いたしました。(昭和60年3月入来町長の記載)
 いまでは「集中管理方式」による配湯となっているが、柴垣湯の建物に当時のものを垣間見ることができるのではないだろうか。

 現在「公衆浴場」は「町営柴垣湯、町営アゼロ湯、諏訪温泉(宿泊可、亀の湯、もんじょの湯、入来温泉センター」の6箇所、他に
宿泊も兼ねた「高齢者福祉センター、ホテルふちさき、千歳屋」がある。

 はるか昔「遠疎から訪れた民衆」はこの入来温泉に何を求めてきたのだろうか。
 現在のように「お湯を楽しむ」といったものではなかったであろう。そこにあるのは、「生きる」ための「真剣な」湯治ではなかったか。

 いまでは落ち着いた町並みとなっているが、当時の喧騒が聞こえてくるような静けさであった。